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【艦これ:魂の還る海】「長門」旧長門国の名前を冠する大戦艦!日本海軍の象徴であり世界のビッグ7の結末を語ろう!戦いの中で沈むのだ…あの光ではなく…本望だな…
画像出典:http://matome.naver.jp/odai/2139825797697336801 日本海軍の象徴。 終戦まで残った最後の日本軍戦艦。 それが――― 戦艦「長門」 終戦間際、戦う事を許されなかった悲劇のビッグ7の結末を語ろう。 戦いの中で沈むのだ…あの光ではなく…本望だな… …
執筆 編集部
画像出典:http://matome.naver.jp/odai/2139825797697336801
日本海軍の
象徴。
終戦まで残った
最後の日本軍戦艦。
それが―――
戦艦「長門」
終戦間際、戦う事を許されなかった
悲劇のビッグ7の結末を語ろう。
戦いの中で沈むのだ…あの光ではなく…本望だな… by 長門
戦艦「長門」
画像出典:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%C4%B9%CC%E7
長門は、旧日本海軍の
長門型戦艦の
1番艦。
第二次世界大戦前は、
日本海軍の象徴として広く親しまれていた。
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/長門_(戦艦)
1944年11月まで、
長門は
外洋での作戦に参加していたが、マニラ空襲の後、
11月15日附で長門は第三艦隊に編入され16日には
「大和」「金剛」と第二水雷戦隊の
軽巡洋艦矢矧と同戦隊所属第17駆逐隊
(浦風、浜風、雪風、磯風)、駆逐艦
桐、
梅はブルネイより日本への帰路に付いた。
この航行が長門にとって
日本海軍で最後の外洋航行となってしまう。
その後、
修理や
整備は実施されたものの、
燃料・物資不足により外洋に出る事はなかった。
大和が
坊ノ岬沖海戦で轟沈すると、残存大型艦は
燃料不足の為に運用不能となり、
予備艦に指定せざるを得ない状況に。
7月18日、長門は横須賀空襲において
空母エセックス、ランドルフ、シャングリラ、ベロー・ウッドの搭載機から攻撃を受け
爆弾3発が命中。
艦橋が破壊されてしまうが、そのまま修復されることなく
終戦を迎えた。
その最後―――
1944年8月――終戦を迎えた瞬間、
長門は唯一残っていた日本の戦艦だった。
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/長門_(戦艦)
最期の最期に
戦う事を許されなかったビッグ7は、アメリカへ引き渡されていった。
しかし、
長門には
最期の戦いが待ち受けていた。
その相手は、
日本を2度焼いた兵器―――
「原子爆弾」
1946年7月1日、太平洋の
ビキニ岩礁で、最初の爆発実験が実施された。
長門は爆心予定地から
1000メートルの地点に配置され、広島型原爆と同等の原子爆弾が
B-29から投下された。
海面数百フィートの上空で爆発、瞬間爆発点は
摂氏100万度の信じられない超高熱、直径30メートル程・
摂氏30万度の火球が周囲を吹き飛ばした。
想像できない数値だと思うので参考までに、
1500度程で
鉄が熔解するというと何となく凄さがわかるかもしれない。
この時、
長門と同地点に配置されていた
軽巡酒匂は船体全てが炎上して沈没していった。
次に発生した
衝撃波により、多くの
標的艦がなぎ倒されて海中に消えた。
画像出典:http://kankore.serifumatome.com/archives/78
だが、戦艦である
長門は衝撃波と高熱に耐え抜き、洋上に姿を見せている事が確認される。
そして―――
同年7月25日、二度目の実験は
水中での爆発実験となる。
この際、
長門には他の艦とは違い船体に
機雷が設置されていた。
明らかに長門を沈めようとする措置。
そこまでしても
日本海軍の象徴であった艦を葬ろうとしていたのだろう。
更に長門の配置された位置は
爆心地200メートル地点、ほぼ中心地だった。
二度目の実験開始。
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/長門_(戦艦)
水中で爆発した
原子爆弾のエネルギーは
巨大な水柱となり周囲の標的艦群を飲み込んでいく。
長門と同様の地点に配置されていた他の
戦艦アーカンソーや
ネヴァダは
瞬時に轟沈された。
空母サラトガは大きく傾きながらも、
長門同様に船体を洋上に残した。
7時間後、
サラトガが沈みゆくのを
長門は海上で見守る事となる。
かつて敵として戦ったライバル艦たちが沈みゆくなか、長門はいつまでも姿を残していた。
それは母国を焼いた原爆に対する対抗意識なのか―――
それとも最後に残った日本国の戦艦として意地なのか―――
次の日も、その次の日も、長門は海上を静かに漂い続けた―――
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/長門_(戦艦)
そして運命の7月30日―――
朝、実験関係者が
長門の姿が無い事を確認した。
29日から30日未明にかけて海中に没したものと思われる。
故に長門は、その
沈む姿を誰にも目撃されていない。
日本軍最期の軍艦は、―――
戦友たちの多く眠る海へ、静かに―――還っていった。
ビキニ岩礁に今も残る
暗く深い穴が、
核兵器の脅威の証であり、
長門の墓標となっている。
大海に還った魂に敬礼―――