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【ゲーム年代史】ファミコン以前の任天堂ハードを知ってるか?世界的ヒットの礎となった名機たち!
画像出典:http://www.funkygoods.com/garakuta/tv_game/tv_game_15.htm 家庭用ゲーム機の代名詞とまで言われた名作ハード「ファミリーコンピュータ」。 通称「ファミコン」 任天堂のゲームハードの中でも屈指のヒット作で、全世界で売れに売れまくったとい…
執筆 編集部
画像出典:http://www.funkygoods.com/garakuta/tv_game/tv_game_15.htm
家庭用ゲーム機の
代名詞とまで言われた名作ハード
「ファミリーコンピュータ」。
通称「ファミコン」
任天堂のゲームハードの中でも
屈指のヒット作で、全世界で売れに売れまくったというのは、世代ではない人たちでも知っているだろう。
だが、
それ以前にも任天堂は
ゲームハードを作成していたのを知っているだろうか?
今回は、ゲーム黎明期のハード戦争に挑んだ
任天堂の過去の家庭用ゲームマシンを特集していこう!
任天堂初の家庭用ゲーム機
カラーテレビゲーム15
画像出典:http://junkbako.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-8b91.html
977年、
花札で有名だった
任天堂が初めて家庭用ゲーム機に参戦した。
カラーテレビゲーム15は、元々電卓を制作していたメーカー
「システック」が
「三菱電機」と共同開発していたもの。
システック倒産後に
三菱電機が
任天堂に企画を持ち込み、改良されて発売された経緯を持つ。
つまり、
任天堂の自社制作の商品ではなかったのだ。
遊べるゲームは、
PONG系のテレビテニスゲーム。
ゲームスイッチで
15種類のバリエーションが遊べるというシステムで、当時のTVゲームとしてはスタンダードなタイプ。
画像出典:http://www.funkygoods.com/garakuta/tv_game/tv_game_15.htm
事前には、
エポック社の
テレビテニス(1975年発売)が日本初の
国内向けゲーム機として発売されており後発という事になる。
廉価版に
カラーテレビゲーム6があり、ゲームとしては同じもの。
15の方は、コントローラーが本体から
取り外し可能なコトと、スイッチによる
バリエーションの豊富さで人気があったようだ。
画像出典:https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/
実に
100万台を売り上げたとされ、
TVゲーム黎明期としては
大ヒット商品である。
当時のハードは、ゲームは本体に
内蔵されたものしか遊べない為、スイッチ切り替えによるバリエーションは重要だった。
この後、
任天堂はファミコンが発売される
1983年までの間にいくつものゲーム機を世に送り出していく。
112ものゲームが遊べる!?
レーシング112
1978年に発売された
レースゲーム専用マシン。
画像出典:https://www.nintendo.co.jp/n08/azwj/9volt/collection.html
トップビューのレーシングゲームで、
大型のハンドルと
2速のシフトレバーで操作する。
112種類ものゲームが遊べる!―――のではなく、例によってただの
バリエーションだった。
ゲームの内容的には、カーブなどはなく
邪魔な敵車を避けて進んでいくというもの。
2人プレイでは、中央で分割されて狭い道になる。
ちなみに、バリエーションの中には
分割画面の左側だけをつかった1人用の
狭い道モードなんてのもw
このころになると、こういった
バリエーションゲームも飽きられてきていて、セールス的にも
16万台と
カラーテレビゲーム15に比べると惨敗といっていい結果だったようだ。
それでもかなりのセールスだったと思うが・・・
任天堂初の自社開発ゲーム機
ブロック崩し
1979年に発売された任天堂が
初めて自社で開発したゲーム機。
画像出典:http://gekicore-gamelife.com/consumergame/5742.html
当時アーケードゲームで人気だった
ブロック崩しを
研究し、ブラッシュアップされた名作とも言うべき作品。
ボールがブロックを貫通する爽快な
『ブロックスルー』や、フリーボールで楽しめる
『ブロックキラー』など、初心者から上級者まで楽しめるバリエーションが
6種類遊べた。
通常は本体をテーブルに置いて操作するのだが、片腕に
バイオリンのように乗せて操作する方法もある。
開発に時間がかかってしまい、
発売時期が遅れたという事情もあり、販売台数は
40万台前後だったという。
これぞ黒歴史!?任天堂で最も売れなかったマシン
コンピュータTVゲーム
1980年に任天堂がアーケード用ゲーム
「コンピューターオセロゲーム」を家庭用に移植した製品。
画像出典:http://sa2hara.com/?p=7531
というか、中身は
アーケードの基板をそのまま流用しただけのもの。
専用ACアダプタは
重量2kgもある凶器。
しかも内容も
電子オセロゲーム1種類のみで価格も
48,000円という信じられない価格だった。
任天堂の他のゲーム機の
倍以上の価格設定とあり売り上げは
記録的な惨敗におわったという。
画像出典:http://sa2hara.com/?p=7531
この為、流通量がハンパなく少ない
『幻のテレビゲーム』という異名がつけられた。
不名誉な異名だよなw
まさに
黒歴史!
この後、
1981年になると
エポック社より発売となる
カセットビジョンが大ヒットとなる。
その時には、まだ爆発的なゲーム人気とまでにはならないが、この
カセットによる
ゲームの切り替えを可能としたシステムが後の
ファミコンへとつながっていく。
ファミコン以前の
任天堂は、様々な試行錯誤を繰り返し、
黒歴史を乗り越えて
稀代の名機を完成させたという事がわかってもらえただろうか?
実は、
1980年には、任天堂がファミコン以前に
ゲームブームを作ったもう一つの名作たち―――
『ゲーム&ウォッチ』の存在があった。
だが、それはまた
別のお話し。
今回はここまでといておこう。
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