本記事の画像は、筆者の撮影
駆逐艦「漣」
「漣」は、旧日本海軍の吹雪型駆逐艦の19番艦。
特Ⅱ型(朧型・綾波型)の9番艦にあたる。
舞鶴工作部で建造され、同時に姉妹艦である「響」の建造は開始されていた。
一等駆逐艦、特型駆逐艦の後期型に類別。
第二艦隊の第7駆逐隊へ編入された。
日中戦争時には、上海、杭州湾上陸作戦、仏印の作戦に参加している。
ちなみに、同日起工されていた響は、漣の竣工から約1年遅れた。
その最後―――
漣は、「真珠湾攻撃」で米潜水艦・アルゴノートと遭遇するも、気づかずに素通り。
「スラバヤ沖海戦」で被弾するも、意外と軽傷で済み、すぐに戦線復帰を果たしている。
大きな戦果はないものの、輸送任務なども順当にこなし、幸運とも言える活躍を見せていた。
「第一次ベララベラ海戦」では、敵巡洋艦を撃沈との報告もあったのだが、残念なコトにこれは誤認だと確認された。
1944年1月1日、ラバウル周辺は連日空襲を受けていた。
そんな中、漣は撃墜したB-24リベレーター爆撃機の乗員3名を捕虜とする。
1月12日、漣と曙は、トラックへ向かう輸送船団の護衛に参加するためにラバウルを出港。
予定としては、1月14日の正午には国洋丸と合流、その後、早波・島風と共に日本丸・建洋丸・国洋丸を護衛することとなっていた。
だが、この時、船団は米潜水艦隊「ウルフパック」に補足されていたのだ。
ウルフパックは、スキャンプ、ガートフィッシュ、アルバコアの3隻による構成。
この内、アルバコアは、天龍、大潮、大鳳などを撃沈した脅威の潜水艦である。
その牙が、漣に向けられようとしていた・・・。
そして、運命の1月14日―――
当時、漣と曙は間隔5000mの単縦陣、速力16ノットで航行中だった。
その午前中までは問題なく航行を続ける。
油槽船・国洋丸との合同予定の正午に差し掛かろうとした頃・・・。
2隻を補足中だった潜水艦アルバコアから魚雷が、漣に向けて発射された。
魚雷3本が漣に命中。
その爆発により弾薬庫に引火、誘爆を引き起こす。
被雷からわずか2分、漣の艦体は前後二つに割れ、沈没をはじめる。
ヤップ島の南東300海里、北緯03度30分 東経141度34分―――そこに漣は沈み、眠ることとなった。
160名が戦死、生存者は80名いたという。
文献によっては、154人が戦死し、生存者は89人とするものもある。
生存者は、曙に救出された。
大海に還った魂に敬礼―――
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